場面を作るという意識から、人物や背景といった要素を、デジタルツールを使いながらコラージュする感覚で組み合わせ、演出的表現を加えたものをモチーフにし絵画制作をしています。
ドラマチックに見えるかもしれない描かれた場面は、あくまで作者である私によって作られた場面であり、現実には存在しないフィクションである、といった意識を大切にしています。
また、組み合わせた要素・素材を再構成する形で、元の場面の虚構性を強調した作品、フィクションのフィクション性を意識した場面を連作にして展開しています。
作られた場面だからこそ、見て判断している情報が、情報の一端でしかないかもしれない。
目の前にある物事が、いつも自分の思った形で存在しているとは限らないのではないか。
物事を多角的に判断すること、時に別の可能性を考えることの大切さを、絵画という実体を伴った虚構を通して表現していきたい。
2024.1 西本樹生
例えば、知らない映画のワンシーンを見たとして、ストーリーを知らなくとも役者の振る舞いや場面の演出などをきっかけにして、それとなくストーリーを想像することができるのではないだろうか。 そういった、人物が登場することで発生する物語性に興味を持ち、人の在り方や動きを意識した場面を、デジタルツールを用いながら人物や背景にあたる要素を構成・演出し、それをモチーフにして絵画制作をしている。
描かれたものは、ドラマチックに演出された場面に見えるかもしれない。しかし、あくまでそれは作者の私によって演出され作られた場面である、という意識を大切にしている。
私はそこに「演出されできた場面」と「演出を行う装置」といった二つの関係性を感じ、連作にして場面を描くことにより、一つの場面だけでは判断できなかったこと、描かれた場面の外側の領域に広がっているかもしれない可能性を形にしている。
その二つの関係は... ドラマや映画制作などにおける、ドラマチックに演出されたカメラの画角内のシーンと、画角の外側に存在する撮影セットや裏方。
舞台芸術などにおける、ただのハリボテであったとしても、観客視点では舞台装置として場面の演出や役割を担う書き割りの存在。
マスメディア情報における、トリミングされフェイクニュースとされた情報や画像の前後。
...などに感覚的に似た点がある。
...などに感覚的に似た点がある。
位置関係としては近くにあるかもしれない「演出されできた場面」と「演出を行う装置」だが、少し視点を変えるだけで見えるものや感じ方が大きく変わるように感じる。 その二つの関係性を意識しながら、人物を構成要素として連作を展開し、場面の演出をしていくとともに、あるかもしれない可能性の形を描いていけたらと思う。
2023.3 西本樹生